4月からZoomを活用した講座に切り替えて今回で5回目の開催となりました。
廿日市(はつかいち)のみならず全国から多くの方が参加して下さることに感謝申し上げます。
九州は熊本、鹿児島や沖縄からのお申し込みもありましたが、豪雨の影響か一部の方は参加が叶いませんでした。
被害に遭われた方や大変な状況にある方には心よりお見舞い申し上げます。
そしてまたこの講座でお会いできることを楽しみにしております。
さて、今回は栗原幸江さんにグリーフケアをテーマにお話しいただきました。
グリーフケアというと遺族ケアのようなイメージを持つ人が多いと思いますが実はそうではなく、
グリーフワークができるように、悲嘆に苦しむ人を見守り、支え、その人に適した方法で支援すること。
グリーフワークはその人自身が取り組むことで他に人には変われないこと。
グリーフケアをすることでそのひとがグリーフワークができるよう応援すること、その方法は様々であることを学びました。
今回の参加者で、まさにじっくり聴いてもらう体験をされた方からいただいたコメントと、
講座修了後のアンケートで参加者から寄せられたコメントをここに紹介させていただき活動報告とさせていただきます。
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話を聴いてもらうことが自分の語りとなり自分と対話できたとお話させていたたぎました。
それを『絡んだ糸でできた毬が語りによって少しずつ糸が解(ほつ)れて、毬のなかにあった答えが見えてきた』と例えました。
どうすればそのようになる聴き方ができるのか?
聴いて頂けた私がその時感じた『ありがたかったこと』は沢山あり、そのなかの一例として。
『話し始めるまでの/話しの途中の間や沈黙を大切にしていただけた』ことです。
つまり、『話し始めるまでの沈黙』=絡んだ糸のどこからほぐしていこうかと考えている時間。
『話しの途中の沈黙』=糸は少しずつ解れてきたけど、はて、次はどこの糸からほどいていこうか?と考えている時間。
絡んだ毬を見つめ、ほどけた先にある毬の中心部にある答えを見つけることが自分との対話なんだ、その手助けとして聴いていただけたと実感した次第です。
********アンケートで参加者からいただいたコメント***************
・「失語」など機能的な喪失や今までの自分を失うことも大きな喪失であり悲嘆のケアの対象であると再認識しました。
・語りをすることで、自分を自分で納得させる力がある、そのために良い聞き手である事、いかに気持ちを引き出せるかにかかっていると思った。何より、まだ自分には納得できてないグリーフがあると気づいた。
・「聴く」ことの大切さを共有しました。今、事務所の下のカフェで週1回店員を始めたばかりですが、本当は、遺族の方が来たい時に立ち寄れる場所になりたいと考えています。
・聴く力とは、自己成長を促すものでありそのスキルこそが知りたいところであるが、傾聴等のスキルに終始するのではなく、聴く側の喪失体験や人間力によるものなのかと感じた。
・語り手の方の語りをこちらから広げることなく、ただ聴くことは大切と改めて学んだ。少しでも相手を気にしていることを伝えることも、相手に安心感を持ってもらえるのだと学んだ。
・今までの経験、現在進行形の内容などを話し、「聴いてもらう」という体験ができた。
・語りを聴くことには当事者がグリーフワークを進める支えになりうること。直接的なケアもあるでしょうが、その人が持っている力を取り戻したり、発揮したりすることの支援になるのは、とても意味の大きい事だと改めて感じた。聴くことの力を違う視点で捉えることにつながると思いました。
・家族を喪失後、「荒波」にぽつんとひとりでいる様で、まさしくその通りだ。時間が経っても、逆にコロナ後とか’ちょっと落ち着いた’ような時に、またぶりかえした。
・聴く側は、「また同じことを言っている」と思わず、’1回1回違う’と捉えることが大事と再認識した。
・あまりに悲嘆が重い時、長い時、専門家へ引き継ぐ判断も提示されていたが、見極め難しいと感じることもままある。特に家族相手だと。
・悲嘆を消し去ることは難しいが、いまの生活を大切にする(よく食べ眠る)というのも大事と分かり、行動できそうなことが分かって良かった。
・悲しみを癒すために必要な条件 ①わかってくれる人がいる(他人の悲しみを自分事として寄り添ってくれる人がいる)②元に戻るのではなく前に進む。(悲しみの中にでも何か得るものを見つけ、意味を見出していく。)③今役に立っていること。(悲しみの中にいる自分であっても、何か役割があると実感できること。)
・なかなか話す勇気がでないが、4人のグループワークでくみサポの方が声かけてくださり安心して話せた。
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