第71回〈暮しの中の看取り〉準備講座
看取りに向けて市民にもできること  

 

今回は2014年に本講座を開始してからずっと講座に参加しているふたりの市民が

家族を看取った経験を話してくれました。

 

鈴木さんはお父様が末期がんと診断された直後にこの講座を知り参加。

お父様が余命宣告をされて、得体の知れぬ不安に押しつぶされそうになっていました。

それでもこの先の見通しや死へのプロセスを知ることで「自分にも看取りができるかも」と思った体験をお話しくださいました。

講座で仲間と一緒に体験してみたじっくり聴くことをお父様との会話で実践してみると、いらだっていたお父様がだんだんと穏やかになっていく様子が感じられたとのこと。

肯定的に聴く、話しをさえぎらない、否定しない、ひとまず受け止める、こうしたことが看取りに至るプロセスの中で役立つのだということを日々の介護で感じていました。同時に他の家族の不安な気持ちにも少し冷静に対応できたといいます。

どうなったら入院する、ということも決めていたので、その時が来たときに迷いなく入院を決めたそうです。

初回の講座での問い、「看取りとは?」

死の瞬間だけではなく、その時に至る少し時間的な幅のあるもの。

だからこそ、見通しの中での「今」をどう過ごすかを考え、その積み重ねがとても有意義な時間になったのだと思います。

 

 

泰田さんからは3人のご家族の看取りの体験をお話しいただきました。

すべての講座に参加してきてたくさんの方の看取りのエピソードを聞いているし、

死への身体的兆候変化のプロセスについても何度も講座で聞いていたので、

こんな風にして人は死に至るのだと理解していたものの、そのプロセスとは違う突然の最期がもたらすこともお話しくださいました。

残された側の気持ち、行動の変化、それを見つめる家族としての気持ち。。。

「来週会いに行こうと思う」という親戚への「今週行った方が良い」というアドバイスは、まるで看取り経験の多い医師が患者家族にアドバイスするかのようなことば。

そのおかげで会いに行ったときにしっかりとご本人とコミュニケーションが取れたと、親戚の方から感謝していただけたようです。

 

このような見通しを知っているからこそ今というタイミングを逃さない声かけは、本人はもちろんですが残される家族にとってはとても意味があります。

 

看取る、あるいは看取られるということは誰にもで必ず訪れます。

誰もがこのようなよかったと思える看取りができるには、医療任せではなく

自分で考えること、

自分で決めること、

市民が看取りの一般的な知識を持って

主体的に考えることができる、ということが大切です。

 

泰田さん、鈴木さん 今回もありがとうございました。

 

終了後には参加者のみなさんと一緒にじっくりとお話しました。

小金井市および近隣の、そして遠くは茨城県の市民の方、そして広島からも市民の参加。

遠く奈良県からクリニックの先生とケアマネさん達は学会での講演をきっかけにご参加。

みなさんいつもありがとうございます。