Zoom活用 オンライン講座
第48回 〈暮らしの中の看取り〉準備講座
=地域コミュニティにおける食支援=
家族が食べられない…そんなとき市民にもできること
「くみサポ」副代表であり、準備講座すべての回に参加され、事務局の役割も務めておられる泰田康司さんはおっしゃいます。「義母の時に何もすることができなかったという悔しい思いの原体験が準備講座を立ち上げ、今も続けている原動力になっています」と。
今回の講座では、泰田さんの経験知「専門職でない一般市民が、家族が食べられなくなったときにうまくサポートできなかった事例とできた事例から分かったこと、学んだこと、感じたこと」をお話くださいました。
《病の進行をただみているだけしかできなかった経験~認知症を発症されたお義母さまが亡くなられるまでの18年間のお話》
次第に口から食事を摂ることが困難となり、晩年の12年間は、寝たきりでの胃ろう(お腹に開けた穴にチューブを通し、直接胃に食べ物を流し込む方法)・中心静脈栄養摂取(高カロリー輸液を中心静脈から投与し、必要な栄養素を補給)で過ごされたとのこと。
この間、お義母さまとは意思疎通が難しい状況下で、主治医からの提案に従い、医師からの希望を感じさせる言葉に一縷の望みを託すのみの状況。
『自分たちが認知症についての知識を持ち、認知症のある方が見ている世界を少しでも知っていれば、義母とのコミュニケーションも変わり、認知症の進行もゆっくりになったのではないか』と振り返られました。
《再び食べられるようになった経験~ダウン症で施設での共同生活をされているいとこ(従姉)さまへの4年間の支援のお話》
インフルエンザ罹患をきっかけに誤嚥性肺炎に。入院後食事量減少のため言語聴覚士によるリハビリを行うも家族以外の支援を敬遠されうまくいかず。身体機能の低下進行にともなう胃ろう造設の提案があった段階で家族より相談があったとのこと。
本人と家族の話を聴き、医療従事者との間に入ってコミュニケーション支援を行い、結果として退院、訪問リハ・診療を受けながらの在宅療養へ移行。現在では、ソフト食・普通食も摂れるようになるまで回復されたそうです。
対照的なご経験のお話の後、
- 《準備講座への参加を通じて食支援に役立った学び》を紹介くださいました。
- 緩和ケア医による豊富な看取り経験談~
「見通しを知る」「介護される側の気持ちに寄り添う」「聴くこと」の大切さ
- 専門職・一般市民の方とのグループトーク~
「多くの人が介護する側だけの視点で考えている=介護されている側の気持ちに寄り添えていない現実」
「介護される側が嬉しいのはゆっくり話を聴いてくれる人がいる、楽しく食べられること」
「専門用語は一般市民にとって難解」の気づき
- 食支援に関わる様々な専門家(言語聴覚士・福祉用具専門相談員・・・)がいること:
歯科医師が口から食べることを相談・支援してくれることを知った⇒多職種連携の必要性を認識。
そして、お話のハイライト!
➃《学びを通じて実践できたこと》を披露くださいました。経験者によるお話のため、とても説得力がありました。
- 本人と家族の思い(不安や希望)をじっくり傾聴:
(くみサポ活動のことを覚えていて:ここ大事!)家族からの困惑・まくしたての電話
⇒半日かけて「不安:今後の見通し、自宅での介護と仕事両立」や「希望:日常生活を送りながら食事介助できる自宅で一緒に暮らしたい。口から食べられるようにしたい」を傾聴
⇒主治医へ渡すための聴き取りメモを作成。
2.本人・家族と医療介護従事者との間に立ったコミュニケーション支援:
一緒に主治医の話(治療経過・見通し)を聞き⇒分からなかったことはないかを確認、補足説明⇒再度今後の希望を確認⇒二度目の主治医との面談時に確認メモを手渡し、希望を伝え、一緒に考えることができた。
3.本人・家族が望む在宅療養に向けた検討と実現:
言語聴覚士からのベッドの上でも経口摂取できる方法についてアドバイスを受ける⇒利用できる制度の検討⇒週間スケジュールの作成⇒家族が介護する必要がある時間帯の確認
⇒これをもとに主治医より訪問診療医の紹介を受けることができた。
結果として、多職種連携による「食支援」により、
〇本人・家族が望んだ在宅療養が可能となりました
〇入院中よりもより多くの支援が得られています
〇今ではソフト食、普通食を食べられるようにまでなりました
お話の最後に、
- 《経験して思うこと》を語ってくださいました。
〇私たちは、「食べられない」について、相談できるところ・職種があることを知らない
〇医療側の「食べる支援」に対するスタンスとスキルによってその後の患者のQOL(生活の質)が左右されることを知らない
〇学び知ることにより、将来に備えて事前に本人・家族の望む食支援を考えることが可能となる。また、医療従事者と一緒に口から食べることを実現するための方法を考えていくことが可能となる。
地域の中に少し学んでいる・知っている人に気軽に相談できるなら、医療介護側と連携が取れたなら、社会は少しだけ変わると思います。
一人では難しくても仲間がいれば未常識(今は非常識だけど将来常識に変わる可能性があるもの)を創り出すことができます。
廿日市だけでなく、全国各地で広がれば良いなと思っています。
泰田さんのお話を伺った後、感想を話し合うグループワークを行いました。
「私たちの日常生活ではゴールを決めてそこから逆算してやるべきことを考えている。一方で、介護では、ゴールが見えない、いつまで続くのか、何が起きるのか見えない中で支援を続けるのは本人も家族にとってもメンタル的負荷が大きいのでは」「心の中ではゴールは先であってほしいと思いつつもそれは綺麗ごとでもある。本音では・・、そう思うことに罪悪感を持つ」という重たくて本質的な課題が一般市民の方より投げかけられました。
これがくみサポの醍醐味ですね!
このテーマだけで予定していた時間を使ってしまいました。
他の参加者からは、「辛いことを素直に話せる相手が必要では」という意見が出され、多くの方が頷かれました。
大井先生からは、「見通し:病気の経過と看取りまで=終わりがあることを知り、その中で今どの段階にいるのかを把握することで今できることを見つけられる。そのためには情報提供し一緒に考えてくれる医療従事者とつながることが大切」「お互い正直な気持ちを出し合うことから始まるのでは」とのコメントをいただきました。
皆さまはどのように思われるでしょうか。
私は、さらに時間をたっぷり使って、多くの方と語り合いたいと思いました。
人の経験知の共有は、私たちの未来への知恵(資産)となり、希望や自信へと繋がります。
大切な雫を落としてくださった泰田さん、その雫を波紋として広げてくださった参加者の皆さま、ありがとうございました。私たちの活動から生じた波紋が、今後、さらに社会へと広がっていくと良いですね♪
最後に、ご参加くださった方からの感想をご紹介します。
・自分の家族や親族だったら、という自分ごととしての学びと、患者家族の悩みや葛藤を知るという医療職としての学びの両方がありました。
・病気になった時、どんな医療従事者と出会うかで、療養生活の内容も変わってくる。患者の望みは何なのか知った上で医療を提供できれば良いと思いました。
・看取り段階の食支援で、患者さんやご家族、医療従事者それぞれの立場でよくある問題点(「あるある事例」)とうまく解決できたポイントを広く共有できるといいなと思います。
・医療者と患者のちょうど間に立っていただけると私たちはとても有難く思うと同時に、その方に負担がかかりすぎないようにすることも大切だと思っています。
・食べられなくなった判断は、自分が手を挙げるべきと考えています。いざその時に的確な判断ができるのか?元気なうちに鍛えるべきITEMは何かないでしょうか?
・一般社団法人 日本ケアラー連盟という介護している方のことを考える連盟があります。ケアラー手帖という小冊子も発行されています。
・ゴールが先と思ってしまう、と言う内容から、看取りは「最期までいかに生きるか」も大事だが、「死の意味」を語ることも大切かと思いました。
・出来事を深く分析されているので勉強になりますし、心に届きます。多くの方に聞いて頂きたいです。 泰田さんは、くみサポで勉強をされたから、困っているご親戚の方のお話を聴くことができた。一緒に医師からの病状説明に同席したり、患者さん側の情報を伝えたり、紙に書いて病状説明の場に持参することができた。この2つは、自分の患者経験からも本当にすごいなと思います。患者・家族側は、身体が変化していくことの恐怖に襲われていたり、医師の機嫌を損ねたらいけないも思ってしまい、精神的に余裕がないことが多いので、親戚でありながらもちょっと距離を置いた第三者のようなサポーターである泰田さんの存在は、助けになったのではないかと拝察します。
・「この方はもう経口摂取はできないだろう」、ということを決める難しさや、苦悩についての議論を拝聴できて良かったです。高齢者等、終末期では、グレイゾーンが大きく、答えが出ないこと。だからこそACP(アドバンスケアプランニング)も重要になってくることが分かりました。新人のころに感じた「この人はもう食べられないのか?」と感じた苦悩は、非医療従事者(くみさぽではいわゆる一般市民さん)の方の感情に近いのだと気付いたからです。あの苦しみや感覚を、忘れてはいけないなと思っています。
・本日は頷くだけの参加でしたが、まず、<暮らしの中の看取り>準備講座第4章拝読します。
(文責:くみサポメンバー 河野 順)
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